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韓国の将来が良くない理由

昔、ロスアンジェルス暴動ということがありました。 テレビでは暴徒から店を守ろうと店の屋上から銃を構えた韓国人が映し出されていました。 すでにこのころから韓国人はアメリカに移住していたわけです。 移住した韓国人は現在、ものすごい人数になっていると言います。 確かに慰安婦像が設置されている状況を見ると、全米各地に韓国人が移住していることがわかります。 さらにアメリカのキリスト教関係のホームページを見ると韓国人が相当数、入信している現状がわかります。たとえば、Shakerというかなり変わった宗派にも韓国人が入っているのです。 韓国人はアメリカが発展した理由をキリスト教と考えているようです。 つまり「よきキリスト教的アメリカ人」になろうと頑張っているのです。 ところが、このような状況が続いた場合、韓国国内では優秀な人間がいなくなり、人材不足が起きて経済的に低迷することが推測されます。つまり「過疎化」するのです。 日本では東京、神奈川、埼玉、千葉に地方出身者が集まった影響で、地方は過疎化し、国からの補助金で何とか存続するという事態が起きたわけです。 それがアメリカという中央と韓国という地方という関係で起きるというわけです。 つまり将来、韓国は他国から経済援助を受けて生き残る道しか無いのです。 問題はその援助金をどこの国が出すのかです。 アメリカがそんな金を出すわけはなく、おそらく日本が負担することになると思いますが、日本人の納得を得られる可能性は低いと思います。

築地に浴恩園を復元すべき

築地市場が移転することになり、その跡地をどうするか議論されていますが、 一つ忘れている事があると思います。浴恩園のことです。 築地市場がある場所は江戸時代、大名屋敷がありました。 そこに浴恩園という庭園があったのです。 この庭園は松平定信の時代に作られ、春風池、秋風池、春風亭、秋風亭、遊山亭、望嶽亭、賜山などがあったのです。 明治になって、芝公園から海軍の施設が築地に移転し、大正期には海軍大学校、軍医学校、経理学校、技術研究所などが建っていたのです。 海軍は浴恩園を保存していましたが、関東大震災によって状況が一変します。 海軍の建物が被災し、さらに魚河岸が移転することになり、海軍の施設のうち、海軍大学校は上大崎に、技術研究所は目黒に移転したのです。 そして庭園は埋め立てられその上に魚市場が建てられたのです。 海幸橋から西に100mほどの場所に浴恩園はあったのです。 現在市場が占拠して、その面影は完全に消えていますが、少なくとも大正12年以前は緑や水がそこにあったわけです。 豊洲移転で市場関係者が偉そうに築地の支配者のような顔をしていましたが、その歴史を考えると彼らは新参者であり、破壊者に過ぎません。 これから築地市場が解体されて、浴恩園の発掘が始まると思いますが、結局そこにビルやマンションが建てられた場合、殺風景な場所になってしまうと思います。 市場の隣には浜離宮庭園があり、それとバランスを取る形で築地にも庭園を復元すべきと思います。