徳分の法則

徳分を積めば開運するということが言われていますが、これは半分ウソです。
なぜなら私たちの人生は生まれる時に神様によって決定されているからです。
したがって子供の時に徳分を沢山積んでも、大企業の社長などになることはまず不可能です。
多くの人は普通のありふれた人生を送るのです。ある意味この世界は刑務所のようなところであり、どんなに善い行いをしても刑期が終わるまでは苦しみが続くのです。

しかし徳分を積むと良くなる部分もあるのです。
それは晩年の運勢、孫の運勢、来世の運勢です。
したがって遠い未来を良くしたいなら徳分を積む必要があります。

気づいている人は地道に徳分を積む努力をしている

毎月、慈善団体に寄付をしたり、神社やお寺に玉串やお布施をしたりと頑張っている人がいます。
ところが多くの人はこの努力を怠り、給料をもらったらそれをすべて自分の幸せだけに使用します。
たとえば、今の日本の金持ちは自分の幸福ばかり考え、2000万円を手にしたらそれを使って高級車を買って喜んでいます。絶対にそのお金を慈善に寄付することはありません。


なぜこのような事態になってしまうのでしょうか?
それは徳分の法則を知らないからです。


徳分の2種



本人の徳分と先祖からの徳分があります。
前世で積んだ徳分に応じて現世の幸、不幸が決定されます。
一方で先祖の徳分は親兄弟、親戚が共通して持っているものです。
この徳分のお蔭で親戚の生活レベルが普通は同レベルになります。


徳分は拡散する



家族のうち、一人が徳分を積むとその徳分は拡散し、家族や親せき、従兄弟に流れていきます。
反対に一人が悪業を積むと家族や親せきが不幸になるというわけです。


徳分が無くても子供は生まれる



妊娠、出産は物質的なことです。貧乏な家庭でも子供は生まれ、金持ちの家庭でも子供は生まれます。この点はある意味平等です。
ところが妊娠出産には徳分が必要とされるので、その徳分は必ずどこかから持ってくることになります。たいていは家族の特定の人物から供給され、その人は病気がちで不幸な人生、あるいは事故死という結果に陥ります。この点から積善の家には余慶ありというのは本末顛倒の考え方だとわかります。とにかくこの世界では物質が先にあって、徳分が追いかけてくるのです。
物主徳従という訳です。
例えばお蔭信仰して大繁盛している家で、ある日火事になり家が全焼してしまった。
これは物質的な喜びが先にあり、その喜びに必要な徳分がこの家には無いので、「家屋の焼失」という悲しみで支払われるのです。

徳分が無い状態を見極める



徳分が無い人はたとえば電車や劇場でたまたま座ったイスから金具が出ていて、その金具に服が引っかかって破れた。または寿司を食べていたら寄生虫がネタに付いていた。という風に何かしらケチが付くのが普通です。
このような人は神社や慈善団体に金銭を寄付すると良いのですが、そのようなことをする人はほとんどいないので、死ぬまで似たようなことに悩まされます。ちなみに自転車やクルマなどが壊された傷つけられたという場合は交通関係で不足分の支払いがあることを意味します。
例えば昔、誰かに支払ってもらった、またはキセル乗車をしていたことも原因として考えられます。

徳分がある人

徳分がある人は「長命、健康、富裕、友達が多い、家族がいる」という感じになります。
一方で物事がスムーズに進むという見方は微妙です。
なぜなら悪霊に支配されている場合も物事がスムーズに進むからです。


徳分が無い人

徳分が無い人は「食事をいつもおごってもらった。バッグなどを買ってもらった」
という風に「もらい人生」の人が多いのです。
特に若い時、美人で男性におごってもらった人は年齢が上がるに従い、運勢が悪くなります。

徳分の出方は家系により異なる


徳分はA家ではお金に苦労しない、B家では健康、C家では頭がいいというように出方が違います。その理由は以下の通りです。
たとえば祖父母が貧しい人に食事を与えていた場合、その孫は食べることに不自由しないと
判断されます。
他にも祖父母が無学な人にお金を出して教育を受けさせたなら、その孫などは勉強したくなくても
自然と良い教師に巡り合い、勉強することになります。


徳分は枯れてしまう

徳分は現実の生活を送るだけで消費されます。
大体、50歳で生まれながらの徳分の大半は無くなります。
それまで創業者として威勢のよいことを言っていた人も、後はそれまでに作ったお金、不動産、有価証券を食いつぶして生きていくことになります。
50才以上になって成功者になった人が少ないのはそういう理由があるからです。
ちなみに我々は生きているだけで業を積んでいます。その業は霊界では黒い雪となって降っているのです。


相応の理

前世で善い行いをした人は現世で先祖が良い行いをした家系に生まれます。
これを相応の理と言います。
反対に前世で悪事を行った人は現世で悪事を行った家系に生まれ、苦しい人生を送るというわけです。


徳分の積み方にも種類がある



法施、物施、念施、体施などがあります。
物施とはお金やモノを施すことです。


家を建てると徳分が消える

家を新築、またはマンションを買うと徳分がごっそり無くなります。
特にその主人の健康運が悪化します。
したがって相当な徳分を事前に積んだ上で
家を買うようにした方がいいのです。この場合も初めに物質的な事があって、そのあとに
必要とされる徳分が動き始めるのです。


一度に大量の徳分を積むと危ない

特に14人以上の人間の命を救った場合、その人と家族の人生は大凶になります。
それは徳分を積むことで、本人と家族の業の洗い流しが始まるからです。
たとえると、暗い部屋が一気に明るくなると汚れやホコリが目立つことと同じです。
病気や会社の倒産など次から次へと不幸が襲ってきます。おそらくその人物は死ぬまで不幸から抜け出すことはできないでしょう。

祖父母と孫の関係

徳分は祖父母から孫に来ることが多いのです。
祖父母が有徳なら、その子供はみな大学を出て有名企業に勤めるという感じになります。
しかしひ孫はそううまくは行きません。

祖父母が災害に遭って家や財産を失った

江戸時代や明治、大正にはよく大火がありました。
町の半分が焼けて家が無くなってしまった人が沢山出ました。
そのような家の子孫に成功者が出るのが普通です。


徳分があるかどうかを見極める

祖父母4人が合計でどのくらいの善行をしたか、を計算する必要があります。
家1軒分の金額を1単位として捉え、祖父母が合計いくら寄付したか、無料奉仕をしたかを計算するのです。
家1軒分に満たない場合は少ないと判断するべきです。
また火事で家が焼けたなどという場合は一応1単位と考えて計算します。
ユダヤ人が事業で成功するのはその祖父母がマーセルという10分の1税を支払い続けていたからと考えます。

父母が早死した

父親または母親が早く死んでしまった場合、その子供は成功する可能性が高いのです。タレントや大学教授くらいにはなれるかもしれません。この場合、家系の業を早死という形で帳消しにした
と解釈されます。ただし、親が早く死んだ場合、残念という思いが残ってしまうのでその子供は「異常に性欲が高まる」「何かを収集する」というような行動をとりやすいのです。この点はゴミ屋敷で書きました。


知的障害児が生まれた家


知的障害児が生まれるとその家には財運などが生じると言われています。特にその兄弟の結婚運や仕事運が良くなるようです。

親が強欲だと子供は絶対に成功しない


徳分がある店と無い店の違いがわかりました。
お客に損が無いように配慮している店は子どもに店を継承し、その経営がうまく行きますが、
一方で強欲に客から金をせしめた店はその子供が跡を継いでもすぐに閉店します。
また工事業者で下請けの人間にタダ働きを強制している場合は、その業者の子供は非常に悲惨な生き方をするものです。
大体、店や会社を経営した場合、先祖の徳分を馬鹿食いするのでその子供には徳分は残りません。

徳分を積むと付き合う人間が交代する

日々徳分を積むようにすると、大体20年くらいで突然、環境が変わります。
特にそれまで付き合っていた人間が自然と離れて行き、代りに新たな人と付き合うようになります。すると以前の人間が実は貧乏神的な人だったことに気づいてゾッとするというわけです。

徳分を積んでも病気には効果がない

徳分は人間関係には効果的ですが、一方病気には効果がない。
もし徳分を積めば健康になると言っている人があるとしたら、それはウソを言っていることになります。
なぜ効果がないかと言うと、病気は物質的なことなので、徳分とは関係無く発生するからです。

救急車を呼ぶと徳分の有無がわかる

突然倒れて救急車を呼んだ場合、どのような対応になったか
どこに運ばれたか、すぐに運ばれたかということでそれまでの徳分の量を推測することができます。


会社や自治体、国家にも徳分と業がある

会社は営利を目的としているのでどうしても他人に損をさせてしまいます。
これが業となってその会社に積まれるのです。
今から8年くらい前にブラウン管テレビが故障したので新しく買い替えようと思いました。
ところが小型の液晶テレビが8万円もするのです。エアコンが十分買える値段です
仕方なく中古のブラウン管テレビを買いましたが、良く考えるととんでもない暴利を家電メーカーは得ていました。
その報いでしょうか、液晶テレビで儲けていた会社が軒並み大変な状態になっています。

また国家にも徳分と業があります。
これはおおよそ75年で決済されるみたいですが、
徳分を積んでいる国は継続、繁栄という形になります。
しかし、外国を訪問して金をばら撒くようなことは陽徳に過ぎず、何の役にも立ちません。

陽徳と陰徳

良くあるのがお金持ちが「○○万円寄付した」と新聞に掲載されたり、
神社で初詣に行ってみたら寄付した人の名前が張り出されていた。という場合は
陽徳と言って何の価値もないとされます。
つまりあくまで徳分は人に見えないように行うことが重要なのです。



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