新しい祈り方 愛念行

お祈りは必ず、神仏をイメージしてするものです。ところがこのイメージの持続が非常に難しい。最初のうちは神仏に注意が向いていても、そのうちにお供え物に向いてしまったり、仕事のことや家庭のことに行ってしまったり、お祈りなのか、愚痴を言っているのかわからなくなります。
これを無神の祈りと言いますが、日本人は信仰心も無いのに仏壇や神棚、神社、仏閣で祈りをささげているのが現状です。
そこで新しい祈り方の愛念行を知ってもらいたいと思います。愛念行とは神仏に対して繰り返し人の幸せを祈る方法です。


効果

1. 念施の功徳 他人や家族の幸せを祈ることで少しずつ施しができます。
2. 念の滞留を解消します。
3. 心が軽くなり、物事に対して客観的になり、執着心がなくなります。
4. 同行二人 神仏と共に人生を歩めます。

具体的な方法

第一 祈りの対象として神仏を選ぶ

たとえば神社の神様なら住んでいる土地の一の宮の神様が適しています。
大阪に住んでいる人なら住吉大社の住吉大神
奈良の人は大三輪神社の三輪大神
関東なら鹿島神宮の鹿島大神や箱根神社の箱根大神

もちろんこれら以外の神様でもよいです。

ほかに仏教の方では阿弥陀如来、大日如来、観世音菩薩など

第二 祈る内容

「世界中の人々が幸せになりますように」または「世界中の人々が幸福になりますように」と祈ります。

さらに「日本中の人々が幸せになりますように」

「〇〇が幸せになりますように」
この場合〇〇は人名や家族の名前などが入ります。



第三 祈る姿勢や時間

寝た状態でもいいし、電車に乗っている時でもいいです。

時間は夜12時から朝5時くらいは避けた方がいいです。

問題は手を合わせるべきかどうかで、これは場所に応じて。

第四 実践


「住吉大神 世界中の人々が幸せになりますように」
と繰り返し唱える。回数はできることなら100回行いますが日常生活や体に負担のないように。

声を出すのがベストですが、口を小さく動かすだけでもいいです。心の中でこのフレーズを繰り返してもいいです。


「天照大御神 世界中の人々が幸せになりますように」
「南無阿弥陀仏 世界中の人々が幸せになりますように」
「武甕槌之大神 世界中の人々が幸せになりますように」

必ず
神仏の名前を唱えて次に「世界中の人々が幸せになりますように」と唱えます。


「天照大御神へ 世界中の人々が幸せになりますように」
「南無阿弥陀仏へ 世界中の人々が幸せになりますように」
「武甕槌之大神へ 世界中の人々が幸せになりますように」

「へ」を付けて、意識して神仏に念を放出する方法もあります。

まとめると
1. 神仏の名前を唱える。
2. 人の幸せを祈る。
3. 1+2を繰り返す。

たとえば 「白山菊理姫大神 世界中の人々が幸せになりますように」。これを繰り返し唱えるということになります。

なぜ他人の幸せを祈るのか?

神仏は願いを持っています。仏教では発願、本願、誓願と言います。その願いの根本は愛念です。愛念とは人々を幸せにしたい、施したいという気持ちです。

人間が神仏と心を一つにするには神仏と同じ願いを持つ必要があります。つまり愛念を持つということです。

神仏の愛念は何もただ一人の人間のための愛念ではなく、全人類のためのものです。つまり「世界中の人々が幸せになりますように」という愛念を神仏は抱いているものなのです。

一方で人間の方は「自分が幸せになりたい」
「お金をもっと得たい」
「結婚したい」
という願望の祈り

または「今日はこんなことをしてしまいました」、「仕事で失敗をしました」
「家族にひどいことを言ってしまいました」という反省、悔悛の祈りをささげてしまいます。

確かに神仏は寛容ですから
このような祈りもたまには聞いてくれると思いますが、神仏と人間の心が一つになるためには人間の方も大きな愛念の気持ちを抱く必要があります。

つまり神仏の名前に続けて「世界中の人々が幸せになりますように」
と祈ることで同じ考えを持つ仲間になることができるわけです。これを同行二人、または感応道交、神人合一と言います。じっさいにはこれらには言葉だけでなく、実践も必要となりますが、

称名だけではだめなのか?

南無阿弥陀仏、南無釈迦牟尼仏、南無観世音菩薩またはアマテラスオオミカミなどを繰り返し唱えるという方法があります。
これを称名または十言の咒と言うわけですが、このような方法には問題があります。
人の名前を繰り返し呼んだ場合
「一体どういうご用でしょうか?」と言われるだけのこどてす。
つまり称名は神仏を呼び出す効果はあってもそれだけ。玄関に人が来ているだけなのです。
つまり下世話にいうと内容がない、共通する話題がない、ということになります。

念の滞留とは何か?

私たちは毎日多くの思いを持って生きています。
幸せな人はその日の念を消す能力を持っているようです。
また、告解や懺悔は日々の念を体内から出す効果があるようです。

念が溜まっていくとイライラして怒りやすくなり、人に当たったり、粗暴になっていきます。
なぜなら念は結局自分の御魂に向かっていくからです。
また念の強い人はその人生がだめになります。念は強ければ強いほど神道で言うところの御魂に傷をつけてしまいます。

念の伝播とは何か?

仕事で辛いことがあったり、腹立たしいことがあってそのまま家に帰った場合、家人にそのことを言わなくても家人はその思いの影響を受けることになります。つまり家人が体調不良になったり、なぜかイライラしたりする。

これを念のの伝播と言ってこれまで多くの人が気づかなかった事実です。実は念だけでなく、体も酷使したりすると家人にその疲労が伝播してとんでもないことになります。


良い念ほど問題がある

普通の人の御魂は未成熟で、ゆがんでいて汚れていたり、感情的にひねくれていたり
しています。

そこに神仏の名前を唱えずに「世界中の人々が幸せになりますように」という祈りをすると、
その祈りの念は御魂に向かうことになります。
すると御魂はピカッと霊的に光るようになります。
「世界中の人々が幸せになりますように」という祈りを毎日3時間以上2週間くらいすると
目の前が明るくなるのがはっきりと認識できると思います。ところがこのピカが問題なのです。

つまり御魂が光るとゆがみやひび、傷が表面化するのです。
そして気分が落ち込んだり、自虐的になったり、他人にひどいことを言ってしまったりします。
また人間はそもそも自分の幸せを追求するようにできています。そこに他人の幸せを祈るということが入ってくると、自分を放置することになりますから、すさんだ心境になりやすいのです。
要するに良い思いほど問題があるというわけです。

念を放出して現実世界に集中する

そこで必要になってくるのが祈りの念をキチンと神仏に向かって放出することです。
その方法が新しい祈り方なのです。


内なる神を拝むという愚かな考え方

御魂を内なる神と言ったりしますが、この内なる神を拝めと言っている人がいますが
これは本覚思想とか真如観といって平安時代に流行したもので堕落思想とされていたものです。
じっさいこんなことをすると向上心がなくなり、人生はだめになります。


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