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断食療法とはどういうものか?

断食療法は簡単に言うと食事をせず、水だけ飲んで1日、3日または1週間ほど過ごします。 その後少しずつ元の食事に戻していくという方法です。こうすると活力や体力が増すと言われています。 国内では戦前から断食療法は行われていました。実際に戦前から続いている施設もあります。 ちなみに 大正から昭和の初めにかけて日本では健康法ブームがあって、その中の一つが 断食療法です。 断食療法は必ず指導者に従って行う必要があります。また自宅で行うのはかなり無理があるので 何らかの施設で行う必要があります。 私が体験したのは一週間断食ですが、一応、断食の施設に入って体験しました。 まず数日間にわたって、食事の量を減らしていって一週間の本断食となります。 問題はこの期間に水を飲む必要があるのです。ところがこの水分補給がうまくいかないものです。水がおいしくないのです。 つまり脱水症状に陥りやすくなります。そこで私の入っていた断食の施設ではポカリスウェットを水で薄めたものが用意してありました。 さて一週間断食が終わると、今度は普通の食事に戻していくわけです。これが断食のときよりも辛くて本当に嫌になりました。 おかゆを一週間食べていって最後に普通のご飯になるのですが、とにかく食べ物のことばかり考えるようになります。 断食の効果   断食が終わってから一か月間は朝5時になるとパチッと目が開いて起きることができました。 また背骨の詰まった感じがなくなり非常に姿勢が良くなりました。 3か月間はやる気と体力が充実しました。 この効果は個人差があるので、必ず上記のようなことがあるとは言えません。 断食後の食事に難点がある 断食した後2か月くらいはフライやグラタン、肉類を食べて下痢をしたりしました。 時間と費用がかかる 1週間断食の場合、最低3週間は仕事や学業を休むことになります。 一日5000円以上かかるのでこれは大変です。 効果が消える時が来る 特に3か月くらいすると断食以前の状態に完全ではありませんが戻ります。 これはがっかりです。 ダイエット効果は微妙 結局、断食後には食事がおいしくなり、食べ過ぎるようになります。 施設には宗教的あるいは指導者の思想が強く反映される 断食は必ず...

不登校研究に犯罪精神医学を介入させた大先生

現在、不登校と呼ばれている現象は、昔は登校拒否と呼ばれていました。 はじまり 昭和30年ころ精神医学者の高木隆郎氏と臨床心理学者の佐藤修策氏が、それぞれ別に登校しない子供を提起したのが始まりです。主に日本児童精神医学会で議論されました。 学校恐怖症では説明できず この際に使用されたのが学校恐怖症という考え方でしたが、そのうち不登校の子供が中学校で増加するということが判明しました。 学校恐怖症は幼稚園から小学校低学年までのこどもには通用する考え方でしたが、中学生には全く通用しませんでした。 そこで自己像論や登校拒否論などが用いられて、不登校の子供を説明しようと試行錯誤が行われました。そして一般的に登校拒否と呼ばれるようになったのです。 現象とわかって医学が介入する理由が失われた ところが昭和40年を過ぎて、不登校は現象に過ぎず、そこに精神科医が介入する理由が見出させなくなり、日本児童精神医学会では取り上げられなくなりました。 「就学は義務でない」とすれば、不登校を異常とする理由は消えてしまいます。 登校拒否を病名にしたかった学者たち 昭和50年代になっても、かつての登校拒否研究をしていた学者たちは、一つの病気として確立しようと試行錯誤します。 神経症的登校拒否 その一つが神経症的登校拒否という考え方です。 学校に行かない子供全体から、病気、家庭不和、経済的問題、非行などを引き算して、その残りを神経症的として治療の対象としたのです。 稲村博氏の思春期挫折症候群 もう一つが登校拒否を拡大解釈し、不登校の子供すべてを治療の対象とする考え方です。 これは犯罪精神医学者の稲村博氏が「思春期挫折症候群」と名付けて提起しました。 稲村氏の治療により不登校治療は終焉した 稲村氏はこの考え方に固執し、強引な収容治療を行い、大問題化しました。 1994年日本児童青年精神医学会は稲村氏の治療を批判する報告書を学会誌に掲載し これによって不登校研究は実質的に終了しました。 さて稲村氏は思春期挫折症候群には続思春期挫折症候群があるとして これを無気力、アパシー、ひきこもりと名付けていました。 そして彼の死後、後継者の斉藤環氏が社会的ひきこもりを提起したというわけです。 犯罪精神医学とは何か? 不...

ダブルバインド論法による大衆コントロール

ダブルバインド論法とは矛盾したことを繰り返し言って読者を混乱させたり、心理的に操る方法です。 たとえばある言論人が新聞で「Aという群にはBが必要だ」と言っていたが 雑誌では「Aという群にはBが必ずしも必要ではない」と正反対のことを言ったりします。 このような論法は意外な効果を生み出します。 つまり 「Aという群にはBが必要だ」に賛成の人は彼に同調し 一方「Aという群にはBが必ずしも必要ではない」に賛成の人も彼に同調する。 つまり正反対の考えに賛同者ができるのです。 他にもコラムの前半では 特定の人を肯定的に論じて、 後半では否定的に論じる。 一体この人は何を訴えたいのかわかりませんが、 理知的でない人、論理的でない人、 特にこのような言辞を弄する言論人に親近感を覚える人は この手の論法にはまってしまいます。 つまり 自分を肯定してくれる部分しか読まず、 自分を否定する部分を無視します。 まるでカルトにはまったようになるのです。 さらに 「原発は不必要である。廃炉にすべきだ」 と言った後で、 「廃炉にするまで動かすべきだ」 と言ったりする。 そして経済人に「あなたは原発に反対しているからケシカラン」と言われたら 「いえそんなことはありません。『動かすべき』と言っています」と言い訳する。 反対に「あんたは原発を肯定している」と言われたら 「いえ私は反対しているのです」と言い訳する。 ダブルバインドは ベイトソンという人が提起した精神分裂病の原因説でした。 ところが、その後医学的根拠がないとして退けられた言説です。 現在では心理学の母子愛着理論で相手にされている考え方です。 ダブルバインド論法はベイトソンに関してかなり詳しくないと 使いこなすことができませんが、世の中には言論を使用して 大衆をコントロールしている人がいるようです。

徳切れ人間の恐怖

徳切れ人間という厄介な存在を知っているでしょうか? 簡単に言うと徳分以上の収入や名誉を得ている人のことです。 不足した徳分を家族や親せきから横取りする 徳分が無くなっているのに高額な収入を得ていると それに見合った徳分が必要となります。 本当はその人が病気になったり不幸になることで決済されるのですが、 多くは家族や親せきが持っている徳分を寄生虫のように吸い取って決済します。 思い浮かべてもらうとよいですが、家族または親せきの中で損ばかりの人生の人が必ず一人はいるはずです。たとえば慢性病などで苦しんでいる人、事故で障害を負った人など不幸ばかりの人生の人がいるはずです。 このような人から実は親せきの徳切れ人間に徳分が流れていることがあるのです。 さらに徳切れ人間に子供や孫が生まれた場合も要注意です。 その人の親せきが住居関連でトラブルに巻き込まれたりすることがあります。 友人の徳分を奪う 徳切れ人間と付き合うことは大変怖いことです。 たとえばその人と付き合っていたら、とんでもない災難に見舞われたり、 要するに友人の徳分が徳切れ人間に流れるということもあるのです。 孫が生活に困窮する 祖父母と孫は密接な関係があります。祖父母が若いときから施しをしたりまたは家屋が火災や水害にあって失われたり、さらに障害や慢性病の子供を養ったりした場合はその孫、またはひ孫がめざましく出世したりします。 ところがそのようなことがなく祖父母が生きてしまった場合は、たとえば80歳以上になってもバリバリと働いていたり、会社の重役だったりすると家系には余徳がなくなり、孫の人生に使用できる徳分がなくなり、非常につらい人生を送ることになります。 日本では年取ったら隠居するのはこのような理由があるのです。 テレビには徳切れ人間がたくさん タレントや年配のアナウンサーの中には徳切れ人間がかなり存在します。 しかしタレントはこの点に敏感なようで チャリティコンサートとか、友情出演とか、炊き出しとかいろいろな慈善や体施を行って 徳分を積むように心がけているようです。 しかしそのようなことをしない人も多く、結局、波乱万丈の人生を歩むことになります。 起業家に多い たとえば大学生のときに起業して成功したという話を聞きますが...