不登校研究に犯罪精神医学を介入させた大先生
現在、不登校と呼ばれている現象は、昔は登校拒否と呼ばれていました。
昭和30年ころ精神医学者の高木隆郎氏と臨床心理学者の佐藤修策氏が、それぞれ別に登校しない子供を提起したのが始まりです。主に日本児童精神医学会で議論されました。
この際に使用されたのが学校恐怖症という考え方でしたが、そのうち不登校の子供が中学校で増加するということが判明しました。
学校恐怖症は幼稚園から小学校低学年までのこどもには通用する考え方でしたが、中学生には全く通用しませんでした。
そこで自己像論や登校拒否論などが用いられて、不登校の子供を説明しようと試行錯誤が行われました。そして一般的に登校拒否と呼ばれるようになったのです。
ところが昭和40年を過ぎて、不登校は現象に過ぎず、そこに精神科医が介入する理由が見出させなくなり、日本児童精神医学会では取り上げられなくなりました。
「就学は義務でない」とすれば、不登校を異常とする理由は消えてしまいます。
昭和50年代になっても、かつての登校拒否研究をしていた学者たちは、一つの病気として確立しようと試行錯誤します。
学校に行かない子供全体から、病気、家庭不和、経済的問題、非行などを引き算して、その残りを神経症的として治療の対象としたのです。
もう一つが登校拒否を拡大解釈し、不登校の子供すべてを治療の対象とする考え方です。
これは犯罪精神医学者の稲村博氏が「思春期挫折症候群」と名付けて提起しました。
稲村氏はこの考え方に固執し、強引な収容治療を行い、大問題化しました。
1994年日本児童青年精神医学会は稲村氏の治療を批判する報告書を学会誌に掲載し
これによって不登校研究は実質的に終了しました。
さて稲村氏は思春期挫折症候群には続思春期挫折症候群があるとして
これを無気力、アパシー、ひきこもりと名付けていました。
そして彼の死後、後継者の斉藤環氏が社会的ひきこもりを提起したというわけです。
不登校研究はそもそも現象を神経症とすり替える考え方でしたが、そこに稲村氏は犯罪精神医学を持ち込んだのです。
犯罪精神医学は精神鑑定と保安処分から成り立ち、犯罪生物学の一分野です。
その中でも保安処分とは精神障碍者や薬物依存者、アルコール依存症、労働嫌忌者などを
「犯罪のおそれがある」という理由から強制的に収容し、精神医学的な治療をするという考え方です。
この中で労働嫌忌者に対する労作処分というのがあります。労働嫌忌者とはその名の通り、労働を嫌がって、怠けている人のことです。
推測すると稲村氏は
思春期挫折症候群を 労働嫌忌者予備軍と考えて
アパシーを 真性の労働嫌忌者と考えていたとわかります。
まとめると
労働嫌忌者予備軍 → 思春期挫折症候群 → 不登校
労働嫌忌者 → 続思春期挫折症候群 → ひきこもり
というわけです。
はじまり
昭和30年ころ精神医学者の高木隆郎氏と臨床心理学者の佐藤修策氏が、それぞれ別に登校しない子供を提起したのが始まりです。主に日本児童精神医学会で議論されました。
学校恐怖症では説明できず
この際に使用されたのが学校恐怖症という考え方でしたが、そのうち不登校の子供が中学校で増加するということが判明しました。
学校恐怖症は幼稚園から小学校低学年までのこどもには通用する考え方でしたが、中学生には全く通用しませんでした。
そこで自己像論や登校拒否論などが用いられて、不登校の子供を説明しようと試行錯誤が行われました。そして一般的に登校拒否と呼ばれるようになったのです。
現象とわかって医学が介入する理由が失われた
ところが昭和40年を過ぎて、不登校は現象に過ぎず、そこに精神科医が介入する理由が見出させなくなり、日本児童精神医学会では取り上げられなくなりました。
「就学は義務でない」とすれば、不登校を異常とする理由は消えてしまいます。
登校拒否を病名にしたかった学者たち
昭和50年代になっても、かつての登校拒否研究をしていた学者たちは、一つの病気として確立しようと試行錯誤します。
神経症的登校拒否
その一つが神経症的登校拒否という考え方です。学校に行かない子供全体から、病気、家庭不和、経済的問題、非行などを引き算して、その残りを神経症的として治療の対象としたのです。
稲村博氏の思春期挫折症候群
もう一つが登校拒否を拡大解釈し、不登校の子供すべてを治療の対象とする考え方です。
これは犯罪精神医学者の稲村博氏が「思春期挫折症候群」と名付けて提起しました。
稲村氏の治療により不登校治療は終焉した
稲村氏はこの考え方に固執し、強引な収容治療を行い、大問題化しました。
1994年日本児童青年精神医学会は稲村氏の治療を批判する報告書を学会誌に掲載し
これによって不登校研究は実質的に終了しました。
さて稲村氏は思春期挫折症候群には続思春期挫折症候群があるとして
これを無気力、アパシー、ひきこもりと名付けていました。
そして彼の死後、後継者の斉藤環氏が社会的ひきこもりを提起したというわけです。
犯罪精神医学とは何か?
不登校研究はそもそも現象を神経症とすり替える考え方でしたが、そこに稲村氏は犯罪精神医学を持ち込んだのです。
犯罪精神医学は精神鑑定と保安処分から成り立ち、犯罪生物学の一分野です。
その中でも保安処分とは精神障碍者や薬物依存者、アルコール依存症、労働嫌忌者などを
「犯罪のおそれがある」という理由から強制的に収容し、精神医学的な治療をするという考え方です。
この中で労働嫌忌者に対する労作処分というのがあります。労働嫌忌者とはその名の通り、労働を嫌がって、怠けている人のことです。
推測すると稲村氏は
思春期挫折症候群を 労働嫌忌者予備軍と考えて
アパシーを 真性の労働嫌忌者と考えていたとわかります。
まとめると
労働嫌忌者予備軍 → 思春期挫折症候群 → 不登校
労働嫌忌者 → 続思春期挫折症候群 → ひきこもり
というわけです。
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