感謝行の問題点

世の中には宗教イコール感謝と思っているカン違い人間があまりにも多すぎます。
感謝は非常に問題が多く、魔が入りやすいのです。

ここでは感謝行を取り上げて感謝の問題点を浮き彫りにしたいと思います。

感謝行は谷口雅春氏が生命の実相で紹介したのが最初です。その後さまざまな新興宗教で取り入れられ、また心理学でも似たような方法が行われているのです。
「ありがとうございます」と繰り返し唱えるわけですが、一日に何千回も唱える人もいるといいます。
男の人より女性の方が効果があったという話を多く聞きます。

愛念欠如、エゴの祈りになりやすい


感謝する気持ちになるのは、自分にとって都合の良いことが起きた場合が圧倒的に多いです。

たとえば志望校に合格できた、給料が増えた、おいしいものが食べられた
などです。
自分にとって都合のいいことを感謝するのなら、それは自己満足、エゴの祈りとなってしまいます。

たとえば家や土地を奪った人が感謝行をすることもあるでしょう。
さらに従業員をこき使って莫大な利益を得た人が「ありがとう」と言っていることもあると思います。

またホテルの女将が、お金持ちや大企業の重役が宿泊したときだけ懇切丁寧にあいさつをして、
平社員や一般客が来たときは知らんぷりをする。そして毎日感謝行をする。

このような人のどこに愛念があるのでしょうか?

不幸を感謝するようになる


自分に起きることはたいていマイナスのことが圧倒的に多いです。すると「それは神の与えた試練として感謝しろ」と言う人が出てきます。ということは不幸を感謝することになり、それは想念術で言うと不幸を強く念じることになるから、不幸が吸い込まれるようにやってくることになります。

祈りの対象が不明確


祈りには必ず対象としての神仏が必要です。ところが感謝行ではそれが明確でありません。
たとえば仏壇の前で、御本尊に向かって感謝行をするのなら、祈りとして成立しますが、そうでない場合は奇妙なことになります。
たとえば電車の中で感謝行をするなら、何のことはない自己霊に対して「ありがとうごさいます」と感謝する事態になってしまいます。

過去絶対主義


感謝行は過去の出来事を強く再認識し、それを絶対視します。過去は絶対と言うべき考え方です。

以上のように感謝には問題が多いとわかります。

コメント

このブログの人気の投稿

徳分の法則

アワの歌健康法 問題点と感じたこと

徳切れ人間の恐怖