靖国神社のここが変

昔は靖国神社の近くに行ったついでに参拝していました。賽銭を入れただけでしたが、当時は年配の男性が集まっている様子が見られました。おそらく戦友が集まっていたのだと思います。
また遺族と思われる人もかなりいたように思います。
その後この神社に行かなくなりましたが、テレビで見ると若い人が映っていて随分変わったなと思います。さてなぜ参拝しなくなったかと言えば、2つの理由があります。

供養は御祭神があってこそ


産土神社には招魂碑が建っているのが普通です。この招魂碑は町内から出征し亡くなった若者の御霊を慰めるために建てられたものです。しかし産土神社では本殿に御祭神のスサノオノミコトなどが祭られているのが普通です。したがってあくまで御祭神に死者の冥福を祈るという形式になっているのです。

供養システムとは


供養システムとは生きている人間が神仏に対して死者の冥福を祈り→神仏がそれに呼応して死霊を導くことで成立します。したがって必ず神仏が存在する必要があります。
たとえば阿弥陀如来に先祖の冥福を祈る→阿弥陀如来は子孫の気持ちやその普段の善い行いを照覧して→先祖霊を地獄から引っ張り上げたりするというわけです。


靖国神社は変だ

ところが靖国神社には御本尊に相当する御祭神が存在しないのです。つまり天照大御神や大国主尊などが存在しないのです。これでは死者に対して直接祈る形式となり、死霊信仰になってしまいます。
 
 このタイプの「死霊を神として祭る」という神社は少ないはずです。たとえば源義家や菅公を祭った神社、または仲哀天皇を祭った香椎神社などです。明治政府により作られた靖国神社のように大量の死者を祭るというのはかなり珍しいことです。


神道と仏教の葬送の違い


日本では奈良時代以降、仏教が盛んになりましたが、その理由は神道では自力で霊界に行く必要があったからです。反対に仏教では如来、菩薩が死後の面倒を見てくれます。一種の丸投げシステムですが、このお蔭で生きている人間も、死んだ人も神仏の方を向いていればよいので、皆、気分的に楽になったわけです。


儒教によって人間信仰になった



ところが江戸時代以降、儒教が統治の手段として利用され、明治時代には教育勅語や修身により、人間関係重視の考え方になりました。結果として無信仰な人々が増えて、先祖供養から神仏が排除されてしまったのです。


神仏の下の平等の否定


東京では3月10日の空襲以降も何度も空襲があり、多くの人が亡くなりました。
ところが靖国神社には祭られていません。
同じ戦争で死んだ人をなぜ差別するのか?その理由は、靖国神社は明治政府が作った神社であり、国家は差別を是認する性格があり、その性格をこの神社は継承しているからです。

例えば勲章を考えればよくわかります。もらえる人ともらえない人という差別を国はやっています。
しかし神仏の下の平等ということがあり、たとえば先祖供養で、「あの人は祭らない」という差別をすることはあり得ないのです。


先祖と戦死者とで供養に差別が出る


つぎに先祖の供養はふつう33回忌で弔い上げになります。ところが戦死者に対してはすでに69年以上も慰霊、供養が行われています。これは空襲で死んだ人も同じです。
自家の先祖に対しては33回忌で終わり、他家の戦死者に対しては69年以上も供養を継続するのは明らかな差別です。

以上2つのことを考えてみましたが、国家を信仰している人は靖国神社に違和感を感じないのかも知れません。



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