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言論人防衛隊に驚いた

ある言論人を検索していたところ、奇妙なことに気づきました。どういうわけか、ほめ言葉ばかりが並ぶのです。 言論人に対しては否定的、批判的なものばかり並ぶのがふつうなのですが、その人だけは違うのです。そこで詳しく分析してみたところ、こういう方法があったかと驚きました。 まずその言論人の名前を茨城さんとします。 第一段階 その茨城さんに対してネット上で「虚言癖がある」と騒がしくなったとします。 この段階では「茨城 虚言癖」というキーワードで検索すると、批判的な事ばかりが画面に並ぶわけです。 第二段階 茨城さんは虚言癖をテーマにして新聞にコラムを書くのです。このあたりが茨城さんの狡猾なところです。 第三段階 茨城さんの熱狂的なファンがそのコラムを話題にして、「茨城さんの『虚言癖』のコラムは素晴らしい」とブログなどで書きます。 第四段階 他のファンがそれをコピーして、それらを互いに何度も見るというわけです。 すると 「茨城 虚言癖」で検索するとほめ言葉ばかりが並んで、最初の批判的な発言はどんどん後ろのページに行ってしまうというわけです。 実にうまく考えたものだなあと思います。

新聞の秘密主義こそ大問題だ

昔、M陸将補事件やレフチェンコ事件というスパイ事件がありました。特にレフチェンコ事件では、国会議員が複数関与したのに何ら罪を問われることもなく、有耶無耶になったのです。 そもそも特定秘密保護法案を考えるには、過去に日本で表面化したスパイ事件を知る必要があります。ところが大新聞は過去にそのような事件があった事実さえ記事にしない。都合が悪いのでしょうか? 読者が正しい判断をするには、賛成、反対の意見やその根拠を知る必要があります。 新聞はその材料を故意に隠したのです。 また在特会のデモの時も、読者は「在日特権って何?」という疑問を持っていたはずです。 ところが大新聞は「在日特権を読者に説明すると差別を助長する」という理由から、説明しなかったのです。 これは国民の知る権利を侵害する行為です。読者に故意に知らせないのなら、それは自社で秘密保護や情報隠しをしていることになります。やっていることは秘密保護法と同じです。 さらに最近ではテレビニュースで報道された事件や事故を、新聞が取り上げないこともあり、どうしたの?と思うこともあります。たとえば軽自動車税の値上げです。この件に関してテレビはすぐに報道しましたが、大新聞は1週間ちかく経ってから、記事を掲載したのです。庶民の生活に関することはどうでも良いのでしょうか。

アワの歌健康法 実践篇

アワの歌を自分のものにするにはかなりの執念というか、根気が必要です。 これは呼吸法や気功法にも共通することです。 しかしアワの歌はあまりにも簡単に実践できるので、反対にすぐに飽きる傾向があります。 毎日1時間唱える アワの歌を唱えるには回数でいく方法と毎日1時間唱える方法があります。 回数だと指で数えることになりますが、時間でいく方法だと電車に乗りながらでもできます。 この一時間は分割してもよくて、とにかく合計して1日で1時間になるようにします。 もちろん何時間も唱えてもいいのですが、社会性を損なう可能性もあるのでほどほどにした方がいいです。 ちなみに愛念行は3時間、5時間とやることがありますが、アワの歌は長時間やる必要はありません。 ゆっくりと唱えるのもよいし、声に出さなくてもよいのです。 まず初心者は20回くらい続けて唱えてみます。すると一時的に体がほぐれる感覚があると思います。 気を出す アワの歌を毎日唱えていると、人によると思いますが、数年で手全体から気を出せるようになります。しかしその力は弱くてせいぜい身体のコリをほぐすくらいです。 新興宗教では手のひらから気を出して相手を癒す種類がありますが、アワの歌はそれほどの力はないと思います。 施術の時はアワの歌を唱えながら、手を体に置いて気を入れるようにします。 この時期に注意すべきは上気しやすくなるということです。体が妙に熱くなり、のぼせたようになります。これを解消するには動き回って汗をかくようにするのがベストです。 次に5年10年と唱えていくと手のひらだけでなくて、指先から気を出せるようになります。 仙骨中心説の疑問 さて仙骨中心説という考え方があります。つまり仙骨を整えれば体全体のゆがみが取れるということです。この考え方が正しいのなら、手のひらや指先から気を出して仙骨をほぐせば体は良くなるはずです。 そこで実際に自分に対してやってみたのですが、確かに下半身は軽くなりましたが、体全体がほぐれるという感じはありませんでした。反対に、グルグルめまいを起こしてしまって大変な目にあったのです。もし他人にこれを試していたらその人も同じようなことになると思うので安易に施術はしない方がよいと思います。

なぜ悪人は幸福になるのか

なぜ悪いことをした人が幸せになるのでしょう。悪人が幸せになり善人が不幸になるのがこの世界の不思議なところです。 念が強い 悪人は「金が欲しい」、「自分さえよければ」という気持ちで毎日生きています。 その念は強烈です。 反対に普通の人はこの念の力が弱弱しいものです。 念が強い人の方が成功するのがこの世の中です。 なぜか明るい 不思議なことに悪人は明るい性格の人が多いです。 この部分が神様に気に入られる理由です。 暗い人より明るい人の方が神様は大好きです。 向上心がある 悪人は金持ちの生活を望みます するとそれに見合うような、人付き合いをするために必死に勉強をします。 この知識も必要だ、あれも知らねばと頑張るわけです。 高級時計の知識やスポーツカーの知識そういうものを得ていく過程で 高級な霊界に感応しやすくなります。 今世で悪劫を積んでも人生が悪化することはほとんどない 袁了凡は徳積みによる運命転換を主張しましたが、 現実にこの方法を使用しても人生は好転しないのが普通です。 シンドラーのリストの主人公のシンドラーは戦後の人生はあまり良くありませんでした。 人間はそもそも生まれる時に神様にインプットされた人生を歩むように仕組まれています。 たとえば幸福60不幸40というように人それぞれ決まっているのです。 したがって途中で良いことをしても悪いことをしても人生はあまり変わらないのです。 世の中には徳積みをすればすぐにでも人生が良くなると主張している人が多いですが、 神様はそんなに甘くありません。

教育勅語信仰が国を滅ぼす

教育勅語という文章をご存知でしょうか。 教育勅語とは明治20年代から学校で教えられた、道徳に関して書かれた文章です。 内容はフィクションですが、これがその後の日本人の思考を束縛するのです。 特に思想界や教育界はこの解釈を延々と続けます。 そして生み出されたのが国体主義と道徳主義です。 この二つは表裏一体です。 国体主義とは 「日本人は世界に誇るすばらしい精神を持っている」というものです。 ところがこの思想はとんでもない結果を招くのです。 アメリカやイギリスを敵視   教育勅語は家族の大切さを強固に主張しました。 その影響で欧米の個人主義は学者によって徹底的に否定されてしまうのです。 そして当時のエリート層はアメリカとイギリスを敵視する考えに傾いて行くのです。 なぜアメリカと戦争したかの理由の一つが、当時の日本人、特にエリート層が 国体主義に心酔していたからです。 新興宗教の否定 大本教、生長の家、ひとのみち教団、牧口常三郎などが国体主義と道徳主義を否定しているとして弾圧されたのです。 教育勅語は明らかに宗教です。霊感の鋭い人なら宗教書特有の霊臭が感じられるはずです。 教育勅語は天皇と儒教を強引に合体させたものです。 そのため、天皇信仰と儒教信仰という二重性があるのです。 儒教は東京の湯島聖堂に行けばわかりますが、孔子や孟子を信仰しているわけですが、 つまり中国人を崇拝しているのです。 昭和20年以前日本は中国に翻弄され左右されました。さらに中国に同情的な思想家も存在したりしました。教育勅語を信仰しているとこんな風になると思います。 問題は現在、この教育勅語にはまる人が多いことです。特に政治家や学者がハマっていることが多く、大変心配です。 たとえば憲法の条文に家族の大切さを入れる 道徳を必修科目にする さらには生活保護で家族に責任を押し付けて生活保護から締め出す。 公的秩序の維持のためには人権を否定して良い など教育勅語の影響が実際に起きています。 さらに教育勅語信仰に陥っている人は以下のように考えます。 日本人の貧困は大したことがない。したがって税金を使用する必要がない。 年越し派遣村や湯浅誠氏が大嫌い。 人権の否定、とにかく人権が嫌いです。 自由や平等、博愛の...

騒音と振動の不可思議な話

騒音と振動には不思議なものがあります。 たとえば騒音源には耳では聞こえる音がしていないのに、近くの家の中では騒音が発生しているという場合です。 この場合は騒音源は耳では感じない音を発していて それが空気を伝わって、近くの家の構造体や壁などにぶつかって 固体振動となって聞こえる音に変化するのです。 電柱に設置された変圧器の耳に聞こえない音が 隣接する家の二階の構造体や壁床に当たって 耳に聞こえる音に変化するということがあるわけです。 またビルやマンションで振動源が存在しているのに、そこでは振動が感じられず そこから離れた部屋で感じられる振動が発生していることもあります。 これは機械の振動がコンクリートや鉄筋に伝わって 真下や真上の部屋に行き、そこで感じられる振動になるのです。 特にポンプと変圧器はよくあることで、管理者と住民が 「振動がない」「振動がある」ということで大揉めになるのが普通です。 こういう世界は 建築振動、環境振動 固体振動、空気振動、低周波振動、超低周波振動という さまざまな用語が必要となり、かなりの専門知識が必要となります。

アワの歌健康法 概説

ホツマツタヱという文献の中にアワの歌というのがあります。 アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シヰタラサヤワ という48音から成り立っています。 古事記や日本書紀では蛭子姫は海に流されたとありますが、 ホツマツタヱではイザナギ、イザナミの両神が 蛭子姫にアワの歌を歌わせて体の気血の流れを整えて健康にしたといいます。 ちなみにホツマツタヱにはアワの歌の他に さつさつづの歌、火水土の祓い、タネハタネの歌などいろいろ載っています。 私がホツマツタエを知ったのは昭和52年ころのことです。吾郷清彦氏の超古代秘史資料を読んだ時が最初です。この本は日本書紀や古事記という正史を除いた歴史書をガイドしています。 たとえば宮下文書や先代旧事本記、カタカムナ文献、さらにはその後問題になった荒吐文書など、 が簡潔に記述されているのです。吾郷氏は主に古代文字に関心があって、このような文献を研究していたそうです。ホツマツタヱもミカサフミと共に紹介されています。 契機となった著書 私はアワの歌に健康上の効果があるとは知りませんでした。それを知ったのはかなり後のことです。須田麻紗子さんの著書「引きつれつまる身体をほぐす」という本を読んでアワの歌に効果があることを知ったのです。この本を読んだのは都立図書館だったと思います。また池袋の整体や東洋医学の専門書店に行ってみたところ、棚に並んでいました。 須田さんは指圧師をしていて、アワの歌を毎日唱えることで、 1. 気血の巡りが良くなって体がほぐれて疲労が取れる 2. 手から一種の気を出せるようになり他人の体のつまりを治せるようになる 3. 自分の身体に対して手から出る気を使用して良くする というのです。 そこで実践してみましたが、なるほど体がほぐれるということを実感しました。 なおこのアワの歌を使っている人がいますが、その多くは須田さんの本の影響をかなり受けていると思います。 もしアワの歌を実践したいなら、この本と「続引きつれつまる身体をほぐす」を必ず読むべきです。

徳切れ人間の特徴

徳分が無くなったなら、新たに徳分を積むようにすればいいだけです。ところが徳切れ人間と言うのは地道な考え方をしないで、一発逆転思考や、短絡的に考えて幸福になろうとします。 贈り物をする 徳切れ人間は他人に贈り物をすることが大好きです。贈り物をする度に何となく気分がスッキリするらしいのです。 しかしもらった方はかなり大変です。 お中元が届いたら、家にもめごとが起きた、とか変なトラブルに巻き込まれた。という風にいろいろな出来事が起きはじめます。 徳分の無い人のモノには不運がまとわりついています。 逆に徳分が多い人からモノをもらった場合、幸運が付いてくるものです。 神社やお寺に頻繁に行って願掛けをするようになる 神頼みや祈祷を受けたり、いろいろ凝りだします。 このような人が好きな言葉が開運です。 開運のためなら、とんでもなく遠い神社に参拝したり、 その熱意はすさまじいものです。 たとえば東北なら金華山神社というところでしょうか。 しかも自分の幸せばかりを祈り、もしかすると 自分の兄弟が犠牲になってもいいからとか 不届きな事を祈ったりします。 さらには家の中に巨大な神棚を祀ったり、同じく巨大な仏壇を買ったりします。また自宅敷地内に祠を祀って朝晩拝んだりします。 占い、パワースポットに依存する あっちの方に旅行に行ったら運気が良くなるとか、パワーストーンだとか やたらと占いに凝ってしまいます。 最近良くあるのが、神社の御神木に抱きついてパワーをもらったり 井戸を見つけてその写真を撮って待ち受けにするという類です。 ちなみに御神木に触ると祟られるのが普通です。帰りに下痢になったりするようです。 墓相に凝る お墓には相続運というのがあってきちんとしたお墓を建てると、男子が生まれるとされています。 墓相は確かにあることですが、それにのめり込み不自然なお墓を建てたりする人がいるのです。 家相に凝る 家の中にこういう色のモノを置くとか鏡はどうするとか、ベッドはどこに置くとか、 かなり大変です。 徳分が無くなると占いで言うところの「相」に左右されるようになります。 相とは人相、家相、墓相というものです。そこでこの相を吉相にしようとするわけです。 ボスザル的な人間になる 自分の意のまま...

なぜ仕事を何度も辞めるのか?

能力があるのに仕事が続かないという人がいます。周囲の人はどうして?と思ってしまいます。 これには理由があります。 子供の時に我慢を教えられなかった 家庭で我慢を教えられずにそのまま大人になっている人が存在します。そのような人は少し嫌なことがあるとすぐに仕事を辞めてしまうのです。自分の性格を自覚して、辞めないように工夫する必要があります。 そもそも「家庭は親のわがままに付き合う場」です。親が酢の物を食べたいと思ったら、子供はそれが嫌いでも我慢して付き合うしかないのです。すると子供は知らず知らずのうちに何事にも我慢できるようになります。 御魂が傷ついた人 人間のおでこには御魂というものがあって、それが傷ついた人がいます。子供の時に両親が離婚したとか、特別に強いショックを受けた人はその部分が傷ついたり、ひびが入ったりしています。 たとえばそれまで何事も無く毎日通勤していたのが、ある日電車に乗っていたらフッとやる気や根気が無くなり、そのまま家に帰ってきてしまう。そんな不可思議なことが起こります。 これは不登校でも良くあることですが、非常に難しい問題です。おそらく仕事をしたり、辞めたりを生涯繰り返す可能性が高いのです。親せきなどが経営している会社で雇用しするくらいしか方法はありません。 先祖の影響 先祖が放浪生活をしていた。旅をしながら生活していた。という場合にその子孫が影響を受けることがあります。この場合は職人的な仕事を身に着けることが多いので、それほど心配はありません。 俺様タイプ このタイプが一番厄介です。家族や親せき、友人が大迷惑します。 要するに会社勤めのときに「俺は売り上げがこの会社でトップなのに、給料が少ない」「俺ならもっといい会社が作れる」、「素晴らしいビジネスモデルがある」と自惚れて、自分で起業するわけです。ところが99パーセントそのような起業は大失敗します。そこで仕方なくアルバイトなどをしますが、それも続かない。「こんなバイトを俺様がやっていられるか」というわけです。 このタイプに対しては処方箋はありません。まわりの人はとにかく金を貸さないようにして自衛するしかありません。

呼吸法、気功法の種類

気功や呼吸法にはさまざまなものがあります。 この目的は ・ 健康増進のため ・ 気を使って施療をするため ・ 相手を気で飛ばすため などいろいろあります。 太極拳 気功で良く知られているのは太極拳や八段錦です。日本では楊名時氏が紹介したのが最初だと思います。昭和50年代にかなり有名だったと思います。なおこの流派はもともと陳式太極拳から発達したものです。 西野流呼吸法 次に知られているのは西野流呼吸法です。西野晧三氏が考案した方法で、華輪という身体をねじる運動を基本に、意念で足の裏から気を吸い上げて頭頂部に持っていくという方法です。 そして体内に溜まった気を使用して人を気で投げ飛ばしたりするというわけです。 西野流は今から20年以上前に、テレビでも取り上げられるなどかなり人気がありました。 武術気功 気功には武術気功というのがあります。西野流呼吸法は武術気功に分類されると思います。 その武術気功には沢井健一氏の太気拳というのがあります。立禅と言う方法で体内に気を溜めます。この方法はもともと中国の王郷斉という人から、沢井氏が戦時中に教えてもらったと言います。また王郷斉は形意拳の郭雲深から教わったとされます。 実は本を読んで立禅をやっていた時期があります。1時間くらい立禅をして、気を練っていたのですが、そのときある種の想念術も実習していたのです。するとどうでしょう。驚くことに見事に現実化したのです。そして非常にコワい経験をしてしまいました。このことから立禅は意念の使い方に注意が必要です。 借力と肥田式 次に借力という気功法です。この方法は韓国人の力抜山が行っていた方法ですが、吸うことに重きを置いた非常に不自然なやり方です。かなり苦しいのでとても私はできません。 また肥田式強健術というのもあります。これは戦前に肥田春充という人が考案したもので、これも吸うことに重きを置いた方法です。 小周天法 これは高藤総一郎という人が有名で、昭和五〇年代に発表された方法です。 まず武息という方法で下腹部に熱気を発生させ、それを督脈、任脈に回していくという方法です。 ヨガの呼吸法 ヨガでは非常に多くの呼吸法の種類があります。小周天法とよく似た方法があります。 ヨガの呼吸法はかなり複雑です。 白隠禅師...

催眠術を使用している言論人

ある言論人の文章を読んでいたところ、何度、読んでも彼が何を言いたいのかわかりませんでした。ところがあるとき気づきました。 この言論人は文章で催眠術をかけようとしていたのです。 さらにその言論人の顔写真を見たところ、催眠術師特有の強い念が額から出ていました。恐ろしいことです。 この人にはネットで狂信的な信者がいるそうですが、なるほど催眠術ならそんなことは簡単にできるわけです。

起きていることはすべて正しいというウソ

「起きていることはすべて正しい」と言っている言論人がいます。 このような話はこれまでも多くの人が言っていましたが、 さまざまなパターンがあります。 「自分の身にふりかかることはすべて神のメッセージである」 「自分のまわりはすべて自分の鏡である」 「守護霊がまわりの人間を通して自分に知らせてくれる」 「起きていることはすべて意味がある」 という感じです。 「起きていることはすべて正しい」という考え方に陥っている人は 例外なく、勝ち組の人です。つまり 偏差値の高い大学を卒業し、他人が羨望するような 人生を送っている人ばかりです。 たとえば東日本大震災の時、「これは天罰だ」 と言った有名人がいました これも一種の「起きていることはすべて正しい」思考です。 やっぱり、この人も勝ち組であり、容易に小説家になり、 政治家になった人間です。 確かに成功ばかりの人生の人は 「起きていることはすべて正しい」と考えて生きると 自分を肯定して、より積極的になり、明るくなると思います。 しかし一般の人は残念ながらこのような考え方で毎日を過ごしていると 精神的に追い詰められます。 なぜなら自分の身に起きることはたいがい 無意味なことと、マイナスのことばかりだからです。 そこに意味があると考えたら 自分を否定することになり、ふさぎ込むことは間違いありません。

いつも神様がいる人の特徴

世の中には極めて少数ですが 神様と一緒に暮らしているという人が存在します。 そういう人はおでこの前の部分が光っているのが普通ですが、 良く見るとちょうちんアンコウのような状態になっています。 このような人の特徴は 妙に陽気 とにかくウキウキわくわくしているといった状態です。 通りを歩くといつも歌を歌っていたりします。 踊念仏と言うのがありましたが、いつも阿弥陀如来がそばにいると おそらく踊りだしたくなるのでしょう。 また大して面白くないギャグにも大声を出して笑い出します。 芸術的な才能が開花 宗教は芸術だということを言っていた人がいましたが、 とにかく芸術にのめりこみ、音楽や絵画で開花します。 新興宗教で奇怪な建物が見られますが、 それも教祖の芸術的な才能が関係しているのです しかしこのように良いことばかりではありません そもそも人間は欲望を持って生きています。 神様と一緒に暮らしているとその強い光によって 欲望が拡大します。 すると 性欲が昂進します。 女性関係が激しくなったりします。 食欲がすさまじくなります あそこのラーメンはおいしいとか、どこそこのいちご大福はうまいだとか 食通、美食家になるというわけです。 名誉欲が拡大する ダライラマに会ったとかローマ法王に面会したとか 部屋にはそれらの写真が飾られるわけです。 金銭欲が拡大する とにかくお金というわけで、妙にがめつくなったりします。 しかしこのような欲望の拡大はそれほど問題ではありません 悪霊が大騒ぎする 深刻なのは神様がいる人が住んでいる近所で 事件や事故が多発するということです。 交通事故、放火、奇妙な出来事が頻発する など良くないことばかりが起きてきます。 これは神の光によって周辺一帯の悪霊があぶり出されるからです。 具体的には住民の頭の中にいる悪霊が光によって苦しむということです。 あるいは「あそこは神の光があるぞ」と悪霊が集団で悪さをするようになってくる。 わざわざ神様がいる人の家のすぐ前で事件が起きたりする。 弘法大師が高野山のように京都から離れたところにお寺を作ったり 道元禅師が永平寺を京都から遠く離れたところに作った のもこの辺に理由があったと思います。 ...

断食療法とはどういうものか?

断食療法は簡単に言うと食事をせず、水だけ飲んで1日、3日または1週間ほど過ごします。 その後少しずつ元の食事に戻していくという方法です。こうすると活力や体力が増すと言われています。 国内では戦前から断食療法は行われていました。実際に戦前から続いている施設もあります。 ちなみに 大正から昭和の初めにかけて日本では健康法ブームがあって、その中の一つが 断食療法です。 断食療法は必ず指導者に従って行う必要があります。また自宅で行うのはかなり無理があるので 何らかの施設で行う必要があります。 私が体験したのは一週間断食ですが、一応、断食の施設に入って体験しました。 まず数日間にわたって、食事の量を減らしていって一週間の本断食となります。 問題はこの期間に水を飲む必要があるのです。ところがこの水分補給がうまくいかないものです。水がおいしくないのです。 つまり脱水症状に陥りやすくなります。そこで私の入っていた断食の施設ではポカリスウェットを水で薄めたものが用意してありました。 さて一週間断食が終わると、今度は普通の食事に戻していくわけです。これが断食のときよりも辛くて本当に嫌になりました。 おかゆを一週間食べていって最後に普通のご飯になるのですが、とにかく食べ物のことばかり考えるようになります。 断食の効果   断食が終わってから一か月間は朝5時になるとパチッと目が開いて起きることができました。 また背骨の詰まった感じがなくなり非常に姿勢が良くなりました。 3か月間はやる気と体力が充実しました。 この効果は個人差があるので、必ず上記のようなことがあるとは言えません。 断食後の食事に難点がある 断食した後2か月くらいはフライやグラタン、肉類を食べて下痢をしたりしました。 時間と費用がかかる 1週間断食の場合、最低3週間は仕事や学業を休むことになります。 一日5000円以上かかるのでこれは大変です。 効果が消える時が来る 特に3か月くらいすると断食以前の状態に完全ではありませんが戻ります。 これはがっかりです。 ダイエット効果は微妙 結局、断食後には食事がおいしくなり、食べ過ぎるようになります。 施設には宗教的あるいは指導者の思想が強く反映される 断食は必ず...

不登校研究に犯罪精神医学を介入させた大先生

現在、不登校と呼ばれている現象は、昔は登校拒否と呼ばれていました。 はじまり 昭和30年ころ精神医学者の高木隆郎氏と臨床心理学者の佐藤修策氏が、それぞれ別に登校しない子供を提起したのが始まりです。主に日本児童精神医学会で議論されました。 学校恐怖症では説明できず この際に使用されたのが学校恐怖症という考え方でしたが、そのうち不登校の子供が中学校で増加するということが判明しました。 学校恐怖症は幼稚園から小学校低学年までのこどもには通用する考え方でしたが、中学生には全く通用しませんでした。 そこで自己像論や登校拒否論などが用いられて、不登校の子供を説明しようと試行錯誤が行われました。そして一般的に登校拒否と呼ばれるようになったのです。 現象とわかって医学が介入する理由が失われた ところが昭和40年を過ぎて、不登校は現象に過ぎず、そこに精神科医が介入する理由が見出させなくなり、日本児童精神医学会では取り上げられなくなりました。 「就学は義務でない」とすれば、不登校を異常とする理由は消えてしまいます。 登校拒否を病名にしたかった学者たち 昭和50年代になっても、かつての登校拒否研究をしていた学者たちは、一つの病気として確立しようと試行錯誤します。 神経症的登校拒否 その一つが神経症的登校拒否という考え方です。 学校に行かない子供全体から、病気、家庭不和、経済的問題、非行などを引き算して、その残りを神経症的として治療の対象としたのです。 稲村博氏の思春期挫折症候群 もう一つが登校拒否を拡大解釈し、不登校の子供すべてを治療の対象とする考え方です。 これは犯罪精神医学者の稲村博氏が「思春期挫折症候群」と名付けて提起しました。 稲村氏の治療により不登校治療は終焉した 稲村氏はこの考え方に固執し、強引な収容治療を行い、大問題化しました。 1994年日本児童青年精神医学会は稲村氏の治療を批判する報告書を学会誌に掲載し これによって不登校研究は実質的に終了しました。 さて稲村氏は思春期挫折症候群には続思春期挫折症候群があるとして これを無気力、アパシー、ひきこもりと名付けていました。 そして彼の死後、後継者の斉藤環氏が社会的ひきこもりを提起したというわけです。 犯罪精神医学とは何か? 不...

ダブルバインド論法による大衆コントロール

ダブルバインド論法とは矛盾したことを繰り返し言って読者を混乱させたり、心理的に操る方法です。 たとえばある言論人が新聞で「Aという群にはBが必要だ」と言っていたが 雑誌では「Aという群にはBが必ずしも必要ではない」と正反対のことを言ったりします。 このような論法は意外な効果を生み出します。 つまり 「Aという群にはBが必要だ」に賛成の人は彼に同調し 一方「Aという群にはBが必ずしも必要ではない」に賛成の人も彼に同調する。 つまり正反対の考えに賛同者ができるのです。 他にもコラムの前半では 特定の人を肯定的に論じて、 後半では否定的に論じる。 一体この人は何を訴えたいのかわかりませんが、 理知的でない人、論理的でない人、 特にこのような言辞を弄する言論人に親近感を覚える人は この手の論法にはまってしまいます。 つまり 自分を肯定してくれる部分しか読まず、 自分を否定する部分を無視します。 まるでカルトにはまったようになるのです。 さらに 「原発は不必要である。廃炉にすべきだ」 と言った後で、 「廃炉にするまで動かすべきだ」 と言ったりする。 そして経済人に「あなたは原発に反対しているからケシカラン」と言われたら 「いえそんなことはありません。『動かすべき』と言っています」と言い訳する。 反対に「あんたは原発を肯定している」と言われたら 「いえ私は反対しているのです」と言い訳する。 ダブルバインドは ベイトソンという人が提起した精神分裂病の原因説でした。 ところが、その後医学的根拠がないとして退けられた言説です。 現在では心理学の母子愛着理論で相手にされている考え方です。 ダブルバインド論法はベイトソンに関してかなり詳しくないと 使いこなすことができませんが、世の中には言論を使用して 大衆をコントロールしている人がいるようです。

徳切れ人間の恐怖

徳切れ人間という厄介な存在を知っているでしょうか? 簡単に言うと徳分以上の収入や名誉を得ている人のことです。 不足した徳分を家族や親せきから横取りする 徳分が無くなっているのに高額な収入を得ていると それに見合った徳分が必要となります。 本当はその人が病気になったり不幸になることで決済されるのですが、 多くは家族や親せきが持っている徳分を寄生虫のように吸い取って決済します。 思い浮かべてもらうとよいですが、家族または親せきの中で損ばかりの人生の人が必ず一人はいるはずです。たとえば慢性病などで苦しんでいる人、事故で障害を負った人など不幸ばかりの人生の人がいるはずです。 このような人から実は親せきの徳切れ人間に徳分が流れていることがあるのです。 さらに徳切れ人間に子供や孫が生まれた場合も要注意です。 その人の親せきが住居関連でトラブルに巻き込まれたりすることがあります。 友人の徳分を奪う 徳切れ人間と付き合うことは大変怖いことです。 たとえばその人と付き合っていたら、とんでもない災難に見舞われたり、 要するに友人の徳分が徳切れ人間に流れるということもあるのです。 孫が生活に困窮する 祖父母と孫は密接な関係があります。祖父母が若いときから施しをしたりまたは家屋が火災や水害にあって失われたり、さらに障害や慢性病の子供を養ったりした場合はその孫、またはひ孫がめざましく出世したりします。 ところがそのようなことがなく祖父母が生きてしまった場合は、たとえば80歳以上になってもバリバリと働いていたり、会社の重役だったりすると家系には余徳がなくなり、孫の人生に使用できる徳分がなくなり、非常につらい人生を送ることになります。 日本では年取ったら隠居するのはこのような理由があるのです。 テレビには徳切れ人間がたくさん タレントや年配のアナウンサーの中には徳切れ人間がかなり存在します。 しかしタレントはこの点に敏感なようで チャリティコンサートとか、友情出演とか、炊き出しとかいろいろな慈善や体施を行って 徳分を積むように心がけているようです。 しかしそのようなことをしない人も多く、結局、波乱万丈の人生を歩むことになります。 起業家に多い たとえば大学生のときに起業して成功したという話を聞きますが...

田舎の人間の東京に対する偏見に注意すべき

田舎の人間は東京の人に偏見を抱いています。 その偏見も「東京の人間は金を持っている」という ものです。 このような偏見は 田舎から東京に出た人間が 故郷の親や弟、甥などに 仕送りしていたことに起因しています。 ところが実際は東京に出た人は 自分の生活を切り詰めて お金を工面して 親などに仕送りしていたのです。 したがって 東京や埼玉、千葉などの賃貸アパートなどに そのような人は居住して かなりさびしい老後を過ごしてることが多いのです。 問題はこのような事実を知ることなく、 いや知っていても無視して 「兄さんやおじさんは東京に出ていい思いをしているのに、、 自分たちは貧乏な生活を強いられている」 と思い込んでいることが多いのです。 田舎では 一人一台のクルマを所有し、家に 大型液晶テレビを置いて さらに東京ではとても部屋に入れられない 大型冷蔵庫まである。 東京では見たことのない 巨大な家屋を所有し、 また毎晩のようにカラオケに行き パチンコに行って楽しんでいるのに それでも「東京の人間はいい思いをしている」 と思っている人もいるわけです。 実例を上げましょう。 ある町で駅舎が新しくなるというので募金が行われました。 東京周辺に住んでいるその町出身の人に 寄付のお願いが郵送されました。 そこには一口1万円と書かれていたそうです。 その町から出て東京で働いていた人たちは 望郷の念が強く、その一万円を払ったということです。 ところがその町の住民はなんと一人当たり5円とか10円しか 出さなかったというのです。 またこういうのもあります。 故郷に家屋と土地を残して東京に出てきた人の話です。 その故郷にはまだ隣組というのが残っていて その隣組の人の結婚、子供の入学、葬式などがあるたびに 知らせがあって、故郷に戻って結婚式に参列したり お金を送ったりするというのです。 ところがその人のところで冠婚葬祭があっても 田舎からは誰一人来ないしお金を送ってもこないというのです。 つまりその人は田舎の人間のイイ金づるになっているわけです。 ふるさと納税という変な制度も 要するに東京に出た人間から金をむしり取ろう という悪意が見えてきます。 以上のよ...

感謝行の問題点

世の中には宗教イコール感謝と思っているカン違い人間があまりにも多すぎます。 感謝は非常に問題が多く、魔が入りやすいのです。 ここでは感謝行を取り上げて感謝の問題点を浮き彫りにしたいと思います。 感謝行は谷口雅春氏が生命の実相で紹介したのが最初です。その後さまざまな新興宗教で取り入れられ、また心理学でも似たような方法が行われているのです。 「ありがとうございます」と繰り返し唱えるわけですが、一日に何千回も唱える人もいるといいます。 男の人より女性の方が効果があったという話を多く聞きます。 愛念欠如、エゴの祈りになりやすい 感謝する気持ちになるのは、自分にとって都合の良いことが起きた場合が圧倒的に多いです。 たとえば志望校に合格できた、給料が増えた、おいしいものが食べられた などです。 自分にとって都合のいいことを感謝するのなら、それは自己満足、エゴの祈りとなってしまいます。 たとえば家や土地を奪った人が感謝行をすることもあるでしょう。 さらに従業員をこき使って莫大な利益を得た人が「ありがとう」と言っていることもあると思います。 またホテルの女将が、お金持ちや大企業の重役が宿泊したときだけ懇切丁寧にあいさつをして、 平社員や一般客が来たときは知らんぷりをする。そして毎日感謝行をする。 このような人のどこに愛念があるのでしょうか? 不幸を感謝するようになる 自分に起きることはたいていマイナスのことが圧倒的に多いです。すると「それは神の与えた試練として感謝しろ」と言う人が出てきます。ということは不幸を感謝することになり、それは想念術で言うと不幸を強く念じることになるから、不幸が吸い込まれるようにやってくることになります。 祈りの対象が不明確 祈りには必ず対象としての神仏が必要です。ところが感謝行ではそれが明確でありません。 たとえば仏壇の前で、御本尊に向かって感謝行をするのなら、祈りとして成立しますが、そうでない場合は奇妙なことになります。 たとえば電車の中で感謝行をするなら、何のことはない自己霊に対して「ありがとうごさいます」と感謝する事態になってしまいます。 過去絶対主義 感謝行は過去の出来事を強く再認識し、それを絶対視します。過去は絶対と言うべき考え方です。 以上のように感謝には問題が...

エアコン室外機の騒音各種

エアコンの室外機の騒音で困っている人は多いと思います。 使用した体験から、わかったことをまとめてみました。 1. ファンの騒音 ブォーンブォーンといった感じの音   大きい室外機だと50メートル離れたところでも低い音として聞こえたりします。 家庭用でも低速域で音が大きく感じる場合があります。 2. 圧縮機の騒音  ボンボンボン、ドドドドという感じの音がします マンションならコンクリートを伝わって響きます。 防振架台を使ったり防振ゴムをを挟んで対処するようです。 ちなみに防振に使用する材料にはゴムやウレタン、スチレンボード、スプリングなど さまざまな種類があるのは振動や騒音の周波数に関係があるという話です。 3. 圧縮機の劣化   シャカシャカシャカという音がします。 この状態になると買い替えることになります。 4. 異音、金属音  チチチチチ、カチカチカチという音がします。 ファンのモーターから またはそれを支えている金具から あるいはその金具と本体の接合部から 発生していると考えられます。 クルマのエンジン音のようなものすごい音がして、 エアコンの室外機を見て、とんでもなく振動していたら これはファンのモーターの軸ブレが原因と考えられます。 この軸ブレをそのままにしておくとモーターの支柱の金具と本体の接合部に 致命的な問題が起きて、耳障りな金属音がするようになります。 この支柱は年々、新しいモデルで華奢になっています。その理由は省エネ効果を狙って 支柱が室外機内部の空気の流れの妨げにならないように表面積をギリギリまで削っているからでしょう。 ちなみに室外機を触って、胸に違和感があったら、漏れ電流が原因と思います。 追記 室外機の振動 固体音問題 エアコン室外機の振動はマンションの躯体に伝わり、上下の階に伝わって騒音、振動となって問題になります。 騒音の特徴 かなり低い音で気になります。頭が痛くなる人もいると思います。ドドスカドドスカという感じの音や、ウーという音の場合もあります。 振動の特徴 床から振動が出ている場合はジワジワ、ザワザワという感じ。寝てみると手先まで震えたり、ピリピリすることがあります。顔面紅潮、手指の先が赤くなるまたは白くなる。仮...

洗脳の創始者はパブロフ

洗脳と心理操作は全く異なる概念です。 心理操作はMind Controlと言って世論をいいようにコントロールしたりする方法です。 一方洗脳はBrain Washingと言って記憶を消去して新しい記憶に置き換えることを言います。 洗脳を創始したのは条件反射で有名なパブロフです。 パブロフは研究所で条件反射のために数多くの犬を小屋に入れて飼育していました。 ところがある日のこと、その地域を洪水が襲いました。 犬小屋は流されて行方不明に。見つかったのは 一週間後だったそうです。しかも犬たちは鼻先だけが水面に出ている瀕死の状態だったのです。 犬たちを研究所に戻してみると、驚いたことにそれまで教え込んでいた条件反射を すべて忘れていたと言います。 そしてその犬たちに新たな条件反射を覚えさせることができたそうです。 パブロフは研究してその後、人間の記憶を消したり、新たな記憶を植え付けたりする方法を編み出したそうです。 参考文献 You can trust the communist  ,Schwarz ,Fredrick Charles,1961 National Australlia Library

絶望したときはネコ型思考

絶望的になった時に「夢を持てばよい」と考えがちです。 確かにそのような思考方法で助かる人もいると思います。 反対に、絶望感が増す人もいると思います。 その理由は何でしょうか 夢と現実の間には相当な差があるからです。 その差はとても克服できないから、それに気づくと人間は必ず絶望します。 また自分を見つめなおす、反省するということも危険です。 なぜなら過去はたいていマイナスの出来事に満ちているからです。 昔を思い出してハッピーになれる人は少ないものです。 人間が絶望的になったときに どのような思考をすればいいのでしょうか? その一つがネコ型思考です。 ネコ型思考とは 1.今日のことしか考えない ネコはおそらく明日のことは考えていません。「今日のごはんは何かな?」、 「近くの家の犬をからかおう」とか、今日一日のことだけ考えていると思います。 これを人間に応用すると、数時間先のことだけ考えて生活するということです。 目先のことだけ考えて、明日のことは思わない。もちろん過去のことも思わないということです。 2.時刻表的生活 ネコの一日の行動は時刻表的です。 昼には塀の上で寝ていたのに、 3時には隣の家で餌をもらっていたりする。 つまり、人間も絶望的になったら、 時刻表的に一日を過ごすのです。 たとえば決まった時間に特定のテレビ番組を見る。 またはネットで特定のサイトを見る。 昼食は決まった時間に摂る。 など徹底的に時間を決めて生活をするのです。 ここに書いたことはひどく金銭的、肉体的に追い詰められた状態では 通用しないと思いますが、参考にしてください。

もし日本が朝鮮半島を支配しなかったら?

1937年ころ、沿海州に住む朝鮮人はソ連によって中央アジアに強制移住させられました。 したがって現在、朝鮮人が住む地域が中央アジアにあるのです。 この事実は非常に重要です。 もし朝鮮半島を日本が支配しなかったら、 ロシア人が朝鮮半島を支配したと思います。 そして 朝鮮人の9割は中央アジアやシベリアに強制移住させられたでしょう。 代わりにロシア人が朝鮮半島に移住したに違いありません。 日露戦争の前に、ロシア人は朝鮮半島南部を測量していたそうです。 おそらく都市を作ろうとしていたのでしょう。 仮に日本が朝鮮半島に不干渉の態度を取っていたら、 どんな悲惨なことが朝鮮半島で起きていたか? 韓国人は正しい歴史認識ををして、日本人に感謝すべきです。

地デジ利権に驚いた

東京では3月、4月さらに5月と、東京スカイツリーの受信確認テストが行われています。 5月の末に、地上デジタルテレビの電波の発信が東京タワーからスカイツリーに 切り替わります。 そこで、事前にスカイツリーからの電波を受信できない世帯を見つけようという目的で 行われているのです。 具体的にはこれまで港区の東京タワーから発信されていた地上デジタルテレビの電波を一時的に停止し、墨田区のスカイツリーからの電波に切り替えるということです。 受信確認テストの強引さ たとえば平日なら朝の8時35分から8時40分まで 昼の12時35分から40分まで 夕方の6時35分から40分まで 土曜日なら 朝の9時から10時まで 夕方の6時から7時まで 日曜日なら朝の8時から9時まで 昼の1時から2時までというように確認テストが行われているのです。 アンテナの高さや向き、あるいはブースターのレベルによっては その時間帯にテレビ番組が見られない世帯やマンション、ビルが続出しているといいます。 アナログテレビからデジタルテレビに切り替わったときには 画面の端にアナログテレビという表示が出ていましたが、 受信確認テストではかなり強引な方法が実施されているのです。 なぜかアニメが標的になっている 気になるのはアニメの名探偵コナンやプリキュアの時間帯が狙われているということです。 スポンサーが苦情を言わないのが不思議です。 さらになんでも鑑定団の再放送も狙われています。 今度は1一日に10時間続けて停波するということです。テレビを見ることだけを楽しみにしている高齢者もいますから、かなりひどいことを行っていると思います。 調整工事をしても受信できない世帯が続出 興味深いのは受信確認テストでスカイツリーの電波が受信できないとわかった世帯に対しては 「無料でアンテナ調整工事を行う」というのです。 ところがこの調整工事を行ってもスカイツリーからの電波を受信できないマンションや団地、さらに個人宅が続出しているというのです。 中には自己負担が必要な世帯も出ているといいます。 NHKの受信料を払っているのに番組を見られないのはおかしいし、 見られない世帯にはきちんと返金すべきと思いますが、 問題はこの次です。 ...

ゴミ有料化は逆進課税

現在、各自治体で家庭ごみの有料化が実施されています。まだ実施されていない自治体もありますが、住民は自治体指定のゴミ袋を買うことが義務付けられ、その値段にゴミ処理の料金が加わっているわけです。 しかし良く考えてみると、これくらい不公平で逆進性の高い制度はありません。 なぜなら、金持ちも低所得者も同じ金額が課されているからです。 たとえば年収200万円の人と年収800万円の人を比べてみればわかりますが、 食べる量は両者ともに変わりはありません。したがって排出されるゴミの量も変わらないと思います。反って年収200万円の人の方が食費を安くするために、家で調理する頻度が多くなり、ゴミが多くなる傾向があると思います。 人の4倍の収入がある人が、人の4倍の量を食べてゴミを4倍も排出するということはないのです。 つまりゴミ有料化は、低所得者にとってその金銭的な負担は重く、反対に高所得者は軽いということです。明らかな逆進課税です。 さてなぜ自治体はゴミの有料化に固執するのでしょうか? 財政が逼迫していることが第一だと思いますが タテマエ上はゴミの減量化となっています。 つまり有料化すれば家庭ゴミの排出量を減らすことができて、そのお金で処理費用を工面しようというわけです。 これはナンセンスです。なぜなら人間の身体でたとえると「大便の量を減らせ」と言うこととなんら変わりないからです。 人間が生きていくうえで食料は一定量必要であり、その食料から出る包装、野菜くずなどは一定量必ず出ます。 生ごみを問題視するのはおかしい さらに自治体が目の敵にしているのが、生ごみです。野菜くずやバナナの皮、魚の骨などです。 つまり焼却炉に水の含んだモノが入ると、それを燃やすために燃料がより多く必要となり費用がかかるというわけです。 そこで自治体は 「庭に埋めろ、生ごみ処理機を使用しろ、ベランダで乾かせ」 と言うのです。 都内で庭を持っている家がどれほどあるでしょうか? 生ごみ処理機を買うにはお金がかかります。さらにそれを使用するには電気代も必要となり、節電が叫ばれている中、ゴミを乾かすだけに電気を使うのはおかしいと思います。 また、ベランダで乾かすのも非常識です。ゴミのにおいはかなり強烈です。 高齢者は弁当食に移行、生ごみは激減 ...

先祖供養の基本

先祖供養の基本は御本尊に向かって先祖の冥福を祈ることです。 「阿弥陀如来へ、〇〇家の先祖が幸せになりますように」 という風に祈るようにします。 そして先祖の位牌に対しては「願い事をしない、思わない、想像しない、意識を向けない」ことが大切です。 供養とは生者と死者の間に神仏が存在して成立するシステムです。 必ず御本尊を中央最上段に祭ること 仏壇を見れば中央の最上段に必ず御本尊が祭られています。 宗派によって若干異なりますが、その下の段の横に先祖の位牌が位置しています。 ところが仏壇屋のチラシにはどういうわけか、「仏壇に御本尊を祭るように」と当たり前のことが書かれています。この背景には先祖の位牌だけという仏壇が多いという実態があるのです。これは無宗教の仏壇、無宗教の祭祀ということです。その理由はなんでしょうか。 神仏信仰から人間信仰に変化 室町や戦国時代の金石文を調べると、墓石や石碑には必ず梵字が上にあり、その下に戒名が刻まれていました。その梵字は阿弥陀如来や大日如来を表していました。 つまりその時代の人は必ず神仏に死者の冥福を祈っていたわけです。 ところが江戸時代になるとこの梵字を刻まない墓石が数多く、見られるようになりました。 明治、大正、昭和になるとほとんど刻まれなくなりました。 これは神仏から心が離れて人間信仰に陥ったことを意味しています。 要するに子孫も先祖も家族を思うだけになったということです。 つまり無信仰、無宗教というわけです。 この理由は儒教が関係していると思われます。儒教は人間関係にばかり関心のある考え方です。 どうして先祖に対して祈ることが間違っているかと言えば、生きている時を考えればよいのです。 父母、祖父母が生きているときに子孫が手を合わせて祈ることはありえません。 したがって「死んだから」「目上の人間だから」という理由だけで、神仏のようにみなすことは間違いです。 ちなみに他家の仏壇で妙に生暖かい気が漂っている場合があります。その理由は先祖霊が御本尊のふりをしているからです。

サマータイムは暴力だ

大震災に便乗して、サマータイムを実施した企業がありました。しかしその後、どうなったのでしょうか?当時、新聞はサマータイムを絶賛し、あたかも節電効果があるように言っていましたが、その後なんら結果報告がありません。 サマータイムは電気を浪費する 私たちは新聞に騙されていました。2011年、「サマータイムには節電効果がある」ということが盛んに述べられました。中には社説でサマータイムを賛美した新聞社も存在しました。 しかし「外食などの機会が増える」ということは電力を多く使用することであり、決して節電にはなりません。なぜなら飲食店のエアコンは2馬力、3馬力という業務用エアコンであり、その電力使用量は大変なもので、家庭用の比ではありません。家庭に居る方が余程電力の使用量は少なくて済むと思います。 エアコンや冷蔵庫は温度変化で動いている また節電効果も疑問です。たとえばペットのいる家庭なら、家の人がいない時間もエアコンは動かしています。それに都会では電車、地下道などありとあらゆるところで、エアコンは動いています。 また冷蔵庫は一日中動いているのです。 そもそも外気温が高い昼の1時すぎに電力消費量が増加するのは冷蔵庫やエアコンが、室温の上昇に合わせて冷房を強くしているからです。そこに人間が居ようが居まいが関係ありません。 その電力使用量の増加を「人間が一時間、早く活動しないから」と人間のせいにするのはおかしいのです。 日本人はすでにサマータイムでひどい目にあっている サマータイムは日本では戦後すぐに実施されました。 ところが国民には大変、不評だったと言います。結局3年で取りやめになったそうです。特に公務員がかなりのダメージを受けたそうです。 当時の日本人は戦争や食糧難を経験しましたが、相当な窮乏生活に耐えることができましたが、そのような人々が一時間早く、寝起きすることに苦痛を感じ我慢できなかったことは記憶すべきことでしょう。 ロシア人も耐えられなかった 最近ではロシアでサマータイムが廃止になりました。ロシア人は辛抱強い国民性だと思いますが、 そのような人々でもサマータイムには我慢ならなかったということです。 そもそも一時間早く起きて、夜は早く寝たり、または10月になって突然一時間、遅く起きて、さらに夜は遅く寝るということは人間の体...

奉仕の時間はナチスドイツの真似でした

高校の奉仕の時間はもともと昭和13年から終戦まで行われていた勤労奉仕を復活させたものです。 この勤労奉仕の正式名称は「集団勤労作業」というものです。 中学校や高等女学校で昭和13年から徐々に行われ、昭和16年度からは大々的に実施されました。 農作業や神社の清掃、工場での軽作業などを現在で言うと中学生から高校1年生くらいが行っていたのです。 それではどういう目的だったのでしょうか? 簡単に言うと「国に役立つ心身を作る」ことにあったのです。 タテマエはかなり以前からあった勤労作業説です。 ところが中身はナチスドイツの「アルバイツディーンスト」の真似です。 アルバイツディーンストは18歳から25歳までの人に各地の農作業などを義務付け、それを大学入学の条件にしていたのです。 現在の高校ては奉仕の時間は必修になっているわけです。なんとよく似ていることでしょうか。 参考文献 外務省情報部 編 .国際読本. 第5巻 獨逸讀本. 改造社, 1938 佐藤隆徳.集団勤労作業教育の実際.啓文社, 1938 文部省教育調査部 編 .文部省教育調査部 調査資料. 第3輯  集団勤労作業の概況 昭和16年3月.文部省教育調査部, 1941

宗教から見た臓器移植の問題点

臓器移植には宗教的なさまざまな問題点があります。 そこで何が問題なのかを明らかにしたいと思います。 神仏の下の平等の否定 第一に臓器移植は神仏の下の平等を否定します。 人間は本来、神仏の下に平等であり、一方が犠牲になってもう一方が救われるという考え方は間違っているわけです。 医療の世界では一方を生かして一方を見捨てるという選択が正当化されますが、それは宗教の世界では禁忌というわけです。 因縁や劫の問題 第二に因縁や劫という問題があります。 人間には先祖の因縁や劫というものがあり、臓器移植を受けるとその臓器にくっついている他人の悪因縁や悪劫も受けることになります。 たとえば中国の死刑囚の腎臓をもらった人は当然、殺人という劫ももらうことになるわけです。 臓器を他人にあげることが善行と思っている人は多いですが 実際は自分の不幸をプレゼントすることになるわけです。 他に、それまでは両親二人、祖父母が4人、曽祖父母が8人だったのが臓器をもらうとその倍になるわけです。これは日本人の先祖崇拝を複雑化します。 愛念の否定 第三に愛念を否定しています。 臓器移植を待っているレシピエントやその家族は 毎日どのような想いで暮らしているのでしょうか? 「早く誰か事故に遭ってくれないかな」 「心臓に傷がつかないように誰か脳死になってくれないかな」 と思っているのではないでしょうか つまり他人が不幸になることを毎日祈っているということになります。 これは非常に怖い現実です。 町の誰かが他人が交通事故に遭うことを毎日願っている。 それが全国で何万人もいるというわけです。 宗教の根幹は愛念であり、その愛念からたとえば如来や菩薩は発願して 人を救いたいとか、病を治したいとかそういう願いを立てているわけです。 したがって宗教の信者はその神仏の根幹の思いに寄り添う必要があり だから「他人の幸せを祈る」わけです。 他人の不幸を祈るということは 神仏の心を否定することであり反宗教となります。 臓器移植に賛成している宗教家はそこまで考えていないようです。 死を機械が決定 第四に死を機械が決定するということがあります それまでの死は心臓停止、呼吸停止、瞳孔散大、さらに死後硬直、腐敗と誰がみても死んでいると認識...

学校体育は危険

学校の体育では長年、同じことが行われています。跳び箱、鉄棒、マット運動、ドッジボール、バスケットボールやバレーボール、サッカー、走り幅跳びや走り高跳びなど数多いです。中には100年前から行われているものもあります。ところがその危険性が語られることは今までありませんでした。 跳び箱 跳び箱は小学校の3年生くらいから行われていると思いますが、児童が跳び箱に手をついたときに突き指や手首やひじを脱臼したり、下腕骨を骨折したりすることがあります。 これは加速をつけて跳び箱に手を置くことが原因です。つまり相当な力が手や腕、肩にかかるということです。さらに踏み切るときに足首を捻挫したり、膝の靭帯を痛めたりすることがあります。   また整体関係者はよく知っている事実ですが、跳び箱で尾てい骨を打撲すると大変なことになります。たとえば尾てい骨の打撲の後に体が弱くなり、疲れやすい体質になったり、指先にしびれや疼痛が出ることがあります。 鉄棒 逆上がりの練習の時に手を滑らせて地面に落下して後頭部を打つということがあります。これで死んだ事例も記憶していますが、どうして誰も逆上がりを止めようと言わないのか不思議です。 大人になっても何一つ利益のない運動です。 バスケットボール 子供と子供がものすごい勢いで衝突する事故があります。 衝突でろっ骨を打ったり、鎖骨を折ったり、頸椎を捻挫したりします。 肋骨の打撲は大したことではないと思われがちですが、後年になって肋膜炎などを起こす人がいるようです。また頸椎捻挫は特に人生を破壊します。 校舎内を先生は「走るな」と注意しますが、バスケットボールコートのような狭い空間で10人の児童や生徒が猛然と走り回っていることを危険と思わないのでしょうか?こどもは大人と比較して、視野が狭い特徴があります。つまり衝突の危険性が高いということです。 運動誘発性アナフィラキシーショック この部分は推測ですが、5時間目の体育の授業または昼食後の校庭での運動で運動誘発性アナフィラキーショックを起こす事例があると思います。要するに食後の運動が災いするということです。 走り幅跳び、走り高跳び 跳び箱の時にも書きましたが、踏み切るときにけがをしやすいのです。 また走り高跳びで、クッションから転げ落ちて腰を打った...

整体限界を超えるにはどうするか?

自分で自分の身体を整体をした場合、つまり自己施療をした場合、ある一定のところまでうまく行きますが、それ以上にはならないものです。これを私は整体限界と呼んでいます。 この原因は 1.肋骨や胸骨に変形がある。この場合、必然的に胸椎がずれるので、身体はバランスを取るために他の椎骨や骨盤がずれていきます。したがって骨盤を直してもすぐに元のようにゆがんでしまうのです。整体では治すことは不可能です。整体の大前提は骨それぞれに変形などがないことです。 2.圧迫骨折などで背骨が変形した場合も整体では無理です。   3.背骨と背骨が癒着している場合 などたくさんあります。 それでは整体限界を超えるためにはどのような方法があるのでしょうか? 1. 断食療法の使用 非常にお金と時間がかかります。効果は不確定です。 2.気の使用 気を使うことができる人に頼んで体をほぐしてもらいます。効果は施術者により異なり、これもまた効果は不確定です。なお自分で気を手から出して施療する方法もありますが、習得するのに非常に年月がかかります。 3.神霊の使用   龍神を使って背骨のずれを治す方法です。宗教と関係する必要があり、おすすめできません。ちなみにこれに関しては私は詳しくありませんのであしからず。 4.心の間違いを直す方法 かなり高度な世界ですが、一般的にそれまでの考え方を改めると、背骨がまっすくになる人もいるそうです。 他にも方法がありますが、身体を治すということは非常に難解であり、一筋縄に行きません。 あくまでこんな変わった世界もあるということを書きました。実践するのはどうか思います。

将来、出世する子供の特徴

出世する人には子供の時に共通する特徴があるようです。 たとえば仲間で野球をするにしても、3塁から反対に回ってみたり、ボールもスポンジボールに変えてみたり、またとんでもなく危ないことをしてみたりと、とにかく面白い遊びになるように、アイデアを出して、それを喜々として楽しんでいた子供が大人になって出世しています。また非常にばかばかしいことをしていたタイプも出世しています。 そしてどういうわけか中学生になると、非常にまじめに勉強をし始めて、君子は豹変するという感じです。 一体これはどういうことでしょうか? おそらく脳の発達に理由があるのでしょう。専門家に説明して欲しいです。 現在の子供はサッカーやゲーム機で遊ぶ子供が多いと思いますが、そこでも出世するタイプはアイデアを出して面白い遊びに変えたり、ばかな事をしていると思います。

無宗教、無信仰が日本を衰退させた

日本が衰退した原因は二つあります。 その一つはゆとり教育です。 経済力と学力は相関関係があり、学力が上がれば経済発展するというのは当たり前のことです。 この事実を無視して文部官僚や学者たちは学校で教える内容を激減させたのです。 それは昭和51年ごろに遡りますが、日本人愚民化計画と言うべきものです。 そして衰退の原因のもう一つは無宗教、無信仰という問題です。 俗説に「3代、無信仰な家は滅びる」というのがあります。 普通は当人、その父親、父方祖父というのが無信仰だと絶家になると解釈します。 これは家だけでなく国もあてはまり、たとえば旧ソ連は1917年に誕生し1992年に崩壊しました。 この75年とは一世代25年と考えると3世代になり、きっちりこの俗説が当てはまるのです。ソ連は社会主義国であり、社会主義は宗教を徹底的に否定します。 さて日本では無宗教であることが一種の美徳とされ、神仏を崇拝しなくなり、多くの国民が先祖崇拝や無神論に陥りました。 先祖崇拝も神仏を無視する形式のものがあり、無神論と大して変わりありません。 たとえば仏壇の中央の一番高いところに先祖の位牌を置いたり、 墓相墓という占いや風水にこだわった墓などが、神仏を無視した先祖崇拝になります。 また最近驚いたのは禅宗の僧侶で、「座禅は無宗教だ」と主張する人がいたことです。 神仏があって初めて行があり、座禅があるのは原則であり、一体この僧侶はなにを言っているのでしょうか?こういうバカな僧侶が考えているのは、「無宗教」と言いふらせば、キリスト教の人も参禅して、儲かるということでしょうか。 他にも修養、倫理、実践という考え方も問題です。 そもそもこのような考え方は神仏に対して信仰心があって生まれてくるものです。 ところがこれらは一切信仰を語らず、ただ実践すればよいという、「無信仰な行」に陥っているのです。 無信仰な行は規律や秩序を破壊します、無規範になるのです。 たとえば「行だからなにをやっても許される」というようなことを言うようになります。 行を中心におく団体は戦前で言うと教化団体に該当し、宗教を実生活に生かすということを目的としていたのですが、戦後は宗教を語ると人が集まらないから、無信仰な行を主張したというわけです。 1945年に無宗教な考え方が始まった...

協働という新たな住民搾取

現在、各自治体で協働が行われています。協働とはまちづくりに市民が参加するということです。 それでは実際にどういうことが行われているかと言えば、これがとんでもないものです。 たとえば新しく生活道路を作る必要がある場合、これまでは市役所が土地を買収し、 工事したわけです。つまり市役所がお金や労力を出してきたのです。 ところが協働では市役所が町内会に対して 「新しく道路を作るから、あなたたちで測量し、買収し、工事をして自分たちで管理しなさい」 ということをずうずうしく言ってくるのです。 つまり市役所はただ図面を書くだけというわけです。 つまり「協働だから、市民が金を出し、さらには労力を提供する」ということなのです。 そして住民税は市の職員や市議会議員の給料のためだけというわけです。 協働はまちづくりだけではありません。福祉、医療、介護という分野も対象です。 つまりお金がかかりそうなところを市民に金を出させたり、ボランティアを要請してお金を浮かせるというわけです。 さてこの協働はアメリカの大学教授が提案した考え方ですが、なにか不自然です。 そこでいろいろ調べてみたところ、キリスト教のカトリックの義化というところに似たような考え方を発見しました。 この義化とはトリエントの公会議で決められたカトリックの重要な教義ですが、 「神の恩恵とは神の恵みと人間の協働による」とされています。 つまり神を市役所、人間を住民と置き換えると、地方行政で使われている協働という考え方が完成するのです。まさかと思いますが。

知られていない騒音振動被害、ポンプと変圧器

マンションやビルではさまざまな騒音や振動により被害が発生しています。 たとえばエアコンの室外機や冷蔵庫などは中に圧縮機があるので、その振動がコンクリートを伝わっていきドンドンというな音を立てたりブルブルという振動を発生させます。 旧くなるとこの騒音や振動は特に大きくなります。 この点に関しては投稿「エアコン室外機の騒音各種」を参照してください。 このような問題以外に世間では知られていないものがあります。 ポンプの騒音と振動 その一つが直結式ポンプです。設置されているのは電気室またはポンプ室と言う場所です。 これは現在揚水ポンプから切り替えが進んでいますが、かなりの騒音や振動を発生させます。そのためメーカーや工事業者は防振架台などを使用してその騒音や振動の対策をしているようです。また壁とパイプが接しているところからも振動が伝わるのでそこにも対策をするということです。またパイプサイレンサという特殊なものもあり、そこから推測されるのは騒音振動の苦情がかなり存在しているということです。 変圧器の振動と騒音 また変圧器の問題もあります。これは主にトップランナー式の変圧器によるものです。 その振動は床から主に設置階の上下の階に伝わっていきます。つまり屋上に変圧器があった場合はその下の階に、一階に設置されていたら、二階に伝わるということです。 面白いのは電力会社は変圧器に防振対策はしていません。その理由が地震の時に防振ゴムが外れて本体が傾くからというのです。せいぜい薄っぺらなゴムを一枚か二枚アンカーボルトのところに挟んでいる程度です。対策としては最新式の変圧器に交換するしかないと思います。 振動の特徴はジンジン、ザワザワという感じでしょうか? 計測器では大した強さとして数値が出ません。 身体的な症状  指先や顔面が真っ赤になったり、寝ていると視界が揺れているように感じられます。     床に接している部分が腫れる、体重が一気に5キロくらい減少します。 騒音や振動の感覚には個人差がありますが、人間は動き回っている時はあまり感じないようです。 ところが就寝時やじっと座っているときに、騒音や振動が明確に感じられます。 特に注意すべきは耳が圧迫される。手先がしびれるというような低周波振動、低周波騒音被害です。もしこの...

UR団地はチャイナタウン化している

現在UR都市機構が積極的に中国人などの団地入居を進めていることをご存知でしょうか? 東京都内のある団地ではすでに入居者の5パーセントが中国人になっているといいます。 しかもその団地ではまるで自国のように中国人が大声で行き交っているというのです。 都市機構とは昔は日本住宅公団と言って、その団地建設には税金が使用されました。 つまり日本人が優先的に入居すべき場所なのに、日本人を追い出して中国人が入居しているのです。 さていつごろからこのような事態になったのか調べたところ、民主党が政権を握ってからと言います。都市機構は国土交通省が所管しているので独断でこのようなことができるわけがなく 明らかに政治家や官僚が関わっていると思うのです。 それではこのような中国人たちはどのような職業に就いているのでしょうか? 推測も入りますが、IT関係らしいです。 外国人の日本への移住には反対すべきです。 なぜなら、日本文化をたとえば中国人や韓国人は受容しないからです。 事実、初詣に彼らが行くわけがありません。